僕がボストンにいた当時、西暦2000年頃、ニューヨークやボストンでは、錦織圭選手のことが話題なったのを今の事のように覚えています。
「若い日本人の天才テニスプレーヤーがアメリカにいる」と。。。ボストン郊外のNEWTON市近くににある有名テニスコートの横を車で通る中、友人からその事を聞かされた。 ぼくも16年間アメリカで生活した経験があるので少しは解るのだが、錦織選手はほんとうに精神力が強い人間だと思うし、テニスに対する純粋な思いを、とても尊敬します。 多くの日本国民に夢と希望を与えてくださったことを「本当にありがとう!!」と言いたい。
「チームのみんな、ゴメンナサイ。今日はトロフィーを手にできなかったけれど、次は必ず取ります」
全米オープン、表彰式のインタビューで錦織圭は、家族招待席のコーチや仲間に詫びた。
テニスは個人スポーツだが、トップクラスの選手はコーチ、トレーナー、さらにはマネジャーなど数人がチームでサポートする。錦織はこの日、マイケル・チャン、ダンテ・ボッティーニの両コーチや中尾公一トレーナーら、献身的に支えてくれたメンバーに優勝の謝辞を捧げることはできなかった。
マリン・チリッチ(クロアチア)との過去の対戦成績は5勝2敗、今季に限れば2勝0敗だった。しかし、世界ランク3位のロジャー・フェデラーと7位のトマーシュ・ベルディハを破って勢いに乗るチリッチは、以前とは別人だった。
チリッチは17本のサービスエースを錦織に浴びせ、アンフォーストエラー(自分からのミス)を27本にとどめるなど、準々決勝、準決勝に続いて、ほぼ完璧なプレーを見せた。
「前の彼はもっと粗い選手だった。しかし、この大会ではサーブがより堅実になった。コートカバーリングもよくなっている」
準決勝でチリッチに敗れたフェデラーは、チリッチの格段の進歩をそう指摘したが、そのアタッキングテニスを初の四大大会決勝でも貫いた。
得意とするはずのロングラリーでも、形勢不利に。
だが敗因の第一は、錦織のパフォーマンスが最後まで上がらなかったことだろう。
錦織は完敗をこう振り返った。
「ずっと迷走している感じだった。全く先が見えない試合だった」
立ち上がりから、錦織のボールには準決勝までの伸びがなかった。ツアー屈指の敏捷性を披露する機会もほとんどなかった。錦織の武器が、武器として機能しない。ロングラリーで強みを発揮するのが錦織だが、ボールが何度も両者の間を行き来するうちに、徐々に形勢不利になる場面が多かった。
錦織「プレッシャーを自分で作ってしまった」
初の四大大会決勝の舞台であったことが影響したに違いない。
「ここまで硬くなったのは久しぶり。試合に入り込めなかった」
第5シードのミロシュ・ラオニッチ、第3シードのスタニスラス・ワウリンカ、そして第1シードのノバク・ジョコビッチを連破した3戦で証明したように、錦織は「メンタルモンスター」と呼ばれるほどの精神力の持ち主だ。ジョコビッチとの準決勝では「自分の中で考えて、しっかりメンタルを準備」することができた。しかし決勝では、その準備に失敗した。
「相手がチリッチで、まあ、得意じゃないですけど何回も勝ってる相手で、より考えることは増えたと思いますし、『勝てる』っていうのが少し見えたのもあまりよくなかった」
四大大会決勝という、初めて経験する一種の異常事態がそうさせたと見ていいだろう。チリッチは年齢も近く、対戦成績でも勝ち越しているだけに、雑念が入り込む隙が生じ、精神面の準備の邪魔をしたのだ。
「フェデラーのほうがやりやすかったかもしれない」と錦織は率直だった。フェデラーあるいはBIG4の誰かであれば、向かっていくだけでよかった。しかし……。
「勝たないといけないというプレッシャーを、自分の中で作ってしまっていた」
錦織は言葉を絞り出した。
決勝戦では、過去3戦での神懸かりとも思える集中力が失われていた。そしてこの日のチリッチは、中途半端なメンタルで勝てる相手ではなかった。
ジョコビッチらを破った錦織に観客は味方したが……。
フラッシングメドウの観客は、ジョコビッチやワウリンカを破って勝ち上がった錦織に肩入れしているように見えた。試合開始前の選手紹介でも、錦織には相手を上回る拍手が鳴り、口笛が飛んだ。過去3戦のような熱戦を期待するファンは、終盤あからさまに錦織を後押しするようになった。ついには、チリッチのファーストサーブのフォールトにぱらぱらと拍手が起きるほどだった。しかし錦織のペースは最後まで上がらなかった。
試合時間1時間54分で決着。ラオニッチ戦、ワウリンカ戦と、トップ10選手との5セットマッチを2つ制し、「マラソンマン」と現地の新聞で呼ばれた勝負強さを発揮する機会もなく、錦織の全米オープンは終わりを告げた。